aeternus amor - 4






「幸村――今、なんて」


 信じがたい言葉の羅列に、俺はそう呟くしかなかった。冗談としか思えない。これは何かドラマの撮影で、俺はそのエキストラというか、ドッキリでもさせられているんじゃないか、ぼんやりそんなことを考えた。青年を燃えるような瞳で睨みつける幸村と、忌々しげに顔をゆがめて視線を跳ね返す青年。中々役者がかっていて、俺の問いも若干真実味を帯びたように思える。幸村は鋭い表情を崩さないまま、俺の問いに短く答えた。


「ここは危険でありまするゆえ、あとで説明致す。まずはここより脱出しなくては」


 俺はそれに頷き、幸村の登場によって辛うじて復活した神経回路に無理やり命令を下し、青年の手をどうにか振りほどこうと、痺れてしまっている腕にありったけの力を込めた。が、その努力虚しく、青年は俺の抵抗に気付き、腕に力を込めて強く俺を抑え込んだ。あまりの痛みに思わず小さく呻くと、それにぎりりと幸村が歯を噛みしめた。それをなお睨みつけて青年は、苦々しく吐き捨てた。


「Ha! 誰かと思えば、真田のところのプレップか。
 てめーみてえなBiddyに、この俺を止められると思ってんのか? 笑わせる!」
「貴殿こそ…! 今さら元親殿を手に入れようなどとは、笑止千万!
 もはや元親殿は某たちの保護下にある。たとえ某が敗れようとも、お館様を貴殿に止められると思うか」
「なんだって? くそ、ちっと遅かったか」
「理解出来たなら、悪あがきをせず、その手を離せ」


 地の底から響くような幸村の怒声に、俺の腹は思わずぞわりと震えた。(こんな幸村を、俺は知らない、) 青年は尚俺を強く抱きすくめ、幸村を刃のような視線で捉えていた。しかし膠着状態は長く続かず、先に幸村が動いた。一瞬で間合いを詰め、流れるような動作で青年に蹴りを放つ。俺を抱きすくめたまま器用に青年はそれをかわすが、幸村は空かさず次の蹴りを叩きこみ、更に上半身を捻って拳を繰り出す。素早い技の連携に、仕方なく防御に回ろうとした青年が一瞬腕の力を緩めた瞬間を見逃さず、幸村は素早く俺を奪い返すと、横抱きにしてベランダに飛び出した。それほど筋力がありそうな体つきでなく、身長すら俺より低い幸村の、一体どこにこんな力が眠っていたのか。青年は英語(イギリス英語と思われる)で罵り言葉を吐くと、すらりとした腕をのばして、なにやら低く呟き始めた。その手が幽かな青い光を放ったのを、俺が感じ取った瞬間――幸村はあろうことか、アパートの五階から、何のためらいもなく飛び降りた。
 ひゅっと息をのんだ。心臓が口から飛び出しそうな感覚だ。数秒の浮遊感の後に鈍い衝撃があり、俺たちはアパートの玄関前にワープしていた。呆気にとられている俺とは対照的に、大した様子でもない幸村は「時間稼ぎを」と小さく呟き、瞬間、辺りを深い靄が覆った。つい一瞬前まで、湿度も温度も真夏のそれだったというのに、現れた靄は酷く冷ややかで、俺は自分の口がだらしなく開いているのに気づいた。しかしまったく冷静に幸村は何事か頷き、腰の抜けている俺を改めて背負い込むと、猛然と走り出した。その速さといったら、大の男一人を抱えているなどとは思えないほどのもので、ふと気付いたころには幸村の足は紅蓮の炎に包まれていた(こればかりは見間違いつーか、見間違いだと思いてえ)。ようやく俺が口をきけるようになったころには、俺のアパートの通りはすでに見えなくなっていて、俺の知らない路地裏を幸村は只管に走っていた。恐ろしい勢いで、風がびゅうびゅうと耳元で唸る。その鋭さに少しずつ俺も冷静さを取り戻し、どうにか口を利いた。


「幸村、」
「一応、間に合ったようで本当に安心致しました。お怪我はありませぬか」
「俺は平気だが、お前の方こそ」
「心配めさるるな、元親殿。某は、この日のために鍛錬を重ねていたのでござる。
 それより、元親殿は己の身を守ることだけを考えて下され。
 ……しかし、とにかく、まずは安全な所へお連れいたそう――佐助!」


 さすけ?
いったい何のことだろうか、と俺は首をひねり、それから仰天した。いつの間にか、幸村の隣を赤い髪の男が並走していた。いまどき珍しい迷彩柄の洋服にほっそりとした身を包み、悪戯っぽい表情を見せている顔の三か所に、緑の刺青(…だと、思う)がある。幸村と違うのは、彼からは一切の足音も、気配も、何もしない。まるで忍者のようなしなやかさで、「さすけ」は走っていた。
 「さすけ」はまじまじと彼を見つめ続けていた俺にひとつウィンクを飛ばし、幸村に何事か囁いた。ウィンクというのは、本来非常に気障ったらしいな仕草な筈なのだが、彼が行うと、妙に様になっているのがなんだかおかしかった。幸村は小さくうなずくと、電信柱の影で俺を背からおろした。それから、俺を「さすけ」と呼ばれた男性に背負わせる。されるがままになっていた俺だが、さすがに知らない男性の背に負われるのは気兼ねした。だが、幸村の強い口調におされ、俺はびくびくしながら男性の背に収まった。


「元親殿、この者は佐助と良い、真田家の……ああ、まあ、とにかく某の知人で御座る。
 佐助が元親殿を安全な場所までお連れいたすゆえ、何も心配はいりませぬぞ。
 手はずは分かっておるな。あの男、此方を追っているようだ。某は残って足止めを」
「はいはい、任せといてちょうだい。ってわけで、よろしくね、銀の旦那。
 まー混乱してるだろうけど、落ち着いたらきちんと説明するから、とにかく今は俺につかまっててちょーだい。
 あの青いのは、旦那が食い止めて追っ払うだろうからさ」
「決して六文銭を失くされませぬよう、それだけはお願い申しておきまする。それでは、また」


 俺が何も言えないうちに、幸村は一つ深々と礼をした。それから佐助と何事かごく小さな声で会話をすると、最後にもう一度俺の目をじっと見て、柔らかく微笑んだ。(こんな大人びた表情も、俺は、知らない、) だから、振り向いて走り出そうとする幸村の後ろ姿に、ただ俺は小さく「幸村、」と弱弱しく呼びかけるしか出来なかった。幸村は、ちらりと俺を見返して、「行ってまいりまする」、と笑った。そして、風のような速さで今まで来た道を引き返して行った。
 俺を背負っている彼は、それを見届けると、先ほどまで幸村がそうしていたように、俺を背負ったまま素晴らしいスピードで路地を疾走する。幸村より幾分振動が控えめで、それでいて進む速度は幸村よりも速いように感じられた。彼は滑るように、夜の街を走る。途中で二、三軒ほど住宅を飛び越えたような気もするが、気のせいだったということにしておこう。ますます道は複雑になり、そして静寂さが濃くなる。都会の喧噪はもはや彼方で、日本にこんな場所があったのかというような静かな路地を、佐助は走る。息一つ乱さず走る彼に、俺はおずおずと尋ねた。


「な、なあ」
「ん? 質問かい?
 あんまり喋ると追跡されちゃうから、静かに頼むよ」
「………これって、何の撮影なんだ?」

 佐助は小さく吹き出した。

「まあ、そう思われるのも仕方ないか。突飛な話だしさ。もっともな疑問だと思うよ。
 でも、申し訳ないけど、俺の口からは細かく説明することは禁じられてるんだよね。
 その辺は大旦那が話してくれるだろうから、今はもーちょい我慢してて」
「じゃあ、これは、…なんつうか、現実、なのか」
「そうなるかな」
「………」


 あまりにあっさりとした答えに、俺はどうしていいものかわからなかった。この佐助という男が、嘘をついている、のかもしれない。でももしかしたら、本当のこと、なのかもしれない。確証がなかった。深く考えられる余裕もなかった。すべてが余りにもおぼろげで、今この瞬間でさえも悪い夢なのではと錯覚してしまいそうだった。頭が霞がかったようにぼうっとしている。眠気なのか、先ほどの男の影響なのかわからないが、ふわふわと夢見心地のようだ。俺は小さく欠伸を噛んだ。
 そんな俺の様子を察知したのか、佐助は走りながら悪戯っぽい声で囁いた。


「眠っていて良いよ。これからは体力勝負になるからさ。
 目的地までは遠いから、ゆっくりおやすみ、旦那」


 それから更に、何事かさらさらと優しい声で呟く。すると、仄かに甘く優しい香りがした。どこか懐かしいような、心を惹かれるような、そんな恋しい香りがふわりと漂う。途端に、俺の瞼がとても重くなって、俺はゆるやかに意識を手放した。世界が黒に溶けて、もう、何も考えなくて良かった。


(そう、きっと、これは夢だ)






+後書き
佐助が色んな人のことを旦那と呼び過ぎてつらい。